雑記

映画とかアニメとか本とか漫画の話を書いたり書かなかったりします。殆ど更新はないと思いますが、一応。

君にまつわるミステリー

はじめに

 

本記事はリズと青い鳥山田尚子監督の画面表現の観点、および脚本内のセリフ、各種インタビューから考察をしていくものです。

本記事は、リズと青い鳥を既に視聴した方を対象に書いています。

恐らく未視聴の方にはつまらない記事であるだろうと思いますので、視聴してから読んで頂けると嬉しいです。

交通の弁の問題により本記事の作者はこの作品を一度しか見ておりません。

また、ユーフォニアムは1話として見ていません。

いきなり不安を煽るような内容から始めたのは、なるべく私がどのような経緯で、状態で、本記事を作成したのか分かって頂きたかったからです。

また、ユーフォニアムは未視聴であるという情報を初めに提示させて頂いたのは私はこの作品、リズと青い鳥が、響け!ユーフォニアムという作品を全く知らなくても視聴に値し、理解できる作品である、と考えているからです。

勿論、のぞみとみぞれが中学時代から一緒だった、集団退部事件なるものがあった、などの情報は作品内で示されていない(少なくとも私には読み取れず付き合いが長いことと何かのきっかけで退部したことしか分かりませんでした)ため、そういう細かい話に関しては全く分かりません。

ですから、私はそういう話に関しては極力触れず、あくまであの90分間の中に示された情報、そして各種サイトのインタビュー記事からこの物語を読み解きました。

また、複数の意味合いの取れそうなもの(ex ゆで卵の意味するもの、みぞれがオーボエの笛を自作する理由など)はできるだけ除きました。

さらに、各シーン、セリフに対する考察には最低一回(多くは一回ですが…)、別のシーンの言葉や画面内の表現から理由付けをするようにしています。(中盤にできていない箇所があります。)

また、記憶がおぼろげな箇所には?マーク等を入れています。作品の考察に多大な影響を与える部分とは関係ない要素なので、ご容赦下さい。

それすら出来ないものに関しては、監督の経歴に照らし合わせて、なるべく詳細に、多くの文を割いて説明するようにし、ここから先は私の想像である、という注釈を入れております。

 

具体例を出しましょう。

ある日私がメガホンを持って、「本日は晴天なり」と言ったとします。

それに対してある人はこう考えるでしょう。

「ああ、長門さんはメガホンのテストをしているのだな」

また、別の人はこう考える事でしょう。

「なるほど、長門さんは今日は天気が良いと主張したいんだな」

この段階ではどちらも同等に正しいものである、と考えられるはずです(普通はメガホンのテストでしょうがこの場合の普通は統計を取ったわけでもない感覚的な普通なので除外します)

さて、ここで1シーン入れてみましょう。

Aさん「そろそろ集会始まるから、長門さん、メガホンのテストをしてくれない?」 ここにおいて、私がしたかったのはメガホンのテストである、という説は天気が良いと主張している説よりも説得力が増した、と言えることになります。

勿論、私が主張したいのは天気が良いということ、という説が消えるわけではありません。 ですが、何もないところから判断するよりは、幾分か正しく読み取れるのではないか、と思うのです。

本記事はこのような方法で考察を進めていきます。

まず、私が今回この記事を作るにあたって用いた手法について説明致します。

私は山田尚子監督作品、とりわけたまこまーけっとたまこラブストーリーを非常に大切にしており、なんども視聴しましたし、様々な考察記事を読んだりもしていました。

その中でも、特に超記憶術さんのブログ(http://priority1.blog51.fc2.com/blog-category-30.html)には非常に感銘を受けました。

当記事はここで用いられている手法を概ね踏襲して、物語を読み解いていきます。

この読み取り手法の確からしさ、より詳しくいうのであれば監督は本当にそういう風に考えて場面を組んでいるのか?という疑問に関しては今回私の方から説明することはなく、自明のものとして扱うことにします。 理由は、これを説明するためには本記事の倍以上の文章と資料が必要であり、とても私程度には説明することが出来ない、そう判断したからです。

つまり、本記事は物語のストーリーの構造を考察するものであり、彼女らの心境を考え考察するのではなく作品内に散りばめられた様々な情報及び各種インタビューから考察していくものである、ということになります。

 

正直に申し上げますと、映画考察のようなこれほど長い文章を書く経験は初めてであり、校正をしていて己の未熟さに反省した箇所がいくつもあります。

ですが、誠実にリズと青い鳥という作品に向き合ったつもりです。

山田尚子作品をほんの少し齧っている程度で、響け!ユーフォニアムを一度も見たことのない人間がどれほどの記事が書けるのか、怖いもの見たさで良いのでどうぞお付き合い頂けるとうれしく思います。

 

参考資料(必ず目を通して頂きたいです)

 

本記事がメインに引用するのはこれらのページからになります。

引用量が多いためどのページから引用したかについては注釈を入れておりませんので、目を通して頂くよう、宜しくお願いします。

尚、本記事に引用されていないページもいくつかありますが、私が何を見て考察していたかを知って頂くため、敢えて掲載しています。

1. 「リズと青い鳥」公式サイト スタッフコメント http://liz-bluebird.com/news/?id=3#staffComment01

2. 「リズと青い鳥」公式サイト 山田尚子監督インタビュー http://liz-bluebird.com/interview/

3. 「リズと青い鳥」公式サイト カウントダウンコメント http://liz-bluebird.com/news/?id=31

4. 特集「リズと青い鳥」 OST『girls,dance,staircase』二人の少女の繊細な関係性を牛尾憲輔が音像化。その儚く美しい世界観を映したコンセプト・ワークとは? | INTERVIEW - Mikiki http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/17647

5. 『リズと青い鳥山田尚子×武田綾乃 対談 少女たちの緊迫感はいかにして描かれたか http://kai-you.net/article/52799

6. 【イベントレポート】「リズと青い鳥」舞台挨拶、種崎敦美の止まらない青春語りに東山奈央ら深く頷く - コミックナタリー https://natalie.mu/comic/news/276562

7. 【イベントレポート】「リズと青い鳥」舞台挨拶で演技に恐縮しながらも本田望結「最低10回観る」宣言 - コミックナタリー https://natalie.mu/comic/news/279112

 

本記事を作成しようと思った理由について

 

まずは本記事作成の理由について説明致します。

以下、私のツイートを引用します。

>>枠組みが決まってて、そこにやりたいテーマがあって、あれが暗い話にならざるを得ない以上話として面白い!とならないかもしれないのは分かるんですよ。 だからなんと言うか、そういう見方をしないのであれば心を締め付けられるようになれば良いし、もっと深い見方をしても良い

>>でも多分、答えは貴方のもので、外の話は好きなように色付けして良いはずで

>>だからみぞれとのぞみが、それぞれ進んだ先で同棲をしても良いし、もう2人会うことはない、としても良いはずなんだ

>>私が動揺しているのはリズい鳥が面白くない疑惑が出ていて私は面白かったけど面白くないとされる方の心当たりの方が多くてじゃあこの面白かったという感覚に対して私はどう向き合えば良いんだと自問自答している感じです

>>うーんっと、私のいう面白くないは作品の話で、ストーリーにどれほど共感できるか、感じ入るかは話の作り上人によって異なる(これを理解出来る出来ないはその人の人生次第だと思う)のでそこによって面白さを保証しきれるのか私にはわからない(面白くないと言っているわけではない

>>で、私は少女の葛藤を、瞬間瞬間を緻密に、ともすれば10分で片付けられる内容を練りに練って構成する作りが面白いと感じた(勿論ストーリーにも心当たりがある(あり過ぎるのでそこでもダメージを受けている

>>で、ストーリーも構成も面白くないと判断する人間がいた時、それは面白いと言えるのか?みたいな話をしている、と思う

>>単純に面白くない作品は作られなくなるのでこれは死活問題

本来であればまとめて短い文章にするべきなのですが、自分がその時感じて、発した言葉をそのまま引用した方が私がどのような考えで、どのような気持ちでこの記事の作成に臨んだか、を分かってもらえるかなと思いこのような見にくい形を取らせて頂きました。

本記事が皆様のリズと青い鳥を好きになる一助となったのであれば、それほど嬉しいことはありません。

 

考察

 

さて、本題に入ります。

先ほども申し上げた通り、本記事は基本的に画面から直接読み取れる情報を中心に作品を考察していきます。

メインは過去作品(たまこラブストーリーの話が中心となります)でも見られた手法とその発展系の話になります。

複数の意味が取れるモチーフ、私の考えの域を出ない情報は極力排除し、怪しいところには注意書きを入れるようにしています。

稚拙な文章ではありますが、どうぞ、どうぞ最後までお付き合いください。

リズと青い鳥、というよりかは山田尚子作品において、話者の向く向き、歩く方向は重要な意味を持っています。

上手下手の概念、というと分かりやすいかと思います。

右から左に向かう向き(以後左向き)←が未来、左から右に向かう向き(以後右向き)→が過去を表しています。

縦書きの作文を書く方向が未来だと考えて頂けるとわかりやすいと思います。

 

例えば、冒頭のシーン、2人が音楽室に向かって行くシーンでは2人は右向きに音楽室に向かっていきます。

そして右向きに並んだ上靴のカット(順に青→赤→緑、三年→二年→一年)が入った後、画面は急にぼやけて、2人の姿がもう一度映し出されます。

上靴の色が変わっていて、確か赤?だったと思います。

これは過去方向に向かったこと、同じ向きに並んだ靴からそれが前にも繰り返された光景であることを示しています。

ぼやけた映像が過去のものであることは物語の中で出てきた集団退部事件ののぞみのクラスメイト?とのみぞれの会話から見ることができると思います。

基本的には左は未来、積極的、革新的、右は消極的、保守的、過去のようなニュアンスを含んでいるようです。

積極的、消極的はみぞれとのぞみの関係から見ることができます。

ハグを迫るみぞれは左向き、のぞみは右向きです。

恋愛感情的な側面ではどっちがそうか、と言う話、正確には好きという感情の違い、あたりが適切かも知れません。

話者のセリフにこの向きの持つ意味を持たせたくない場合は首を捻ったりすることで対処されていました。

ちなみに今回は右はみぞれの向き、左はのぞみの向きという意味も持っていたようです。

みぞれの話をしている時に顔が右を向いていたこと、後半のスカートの向かう向き、顔を向ける向きから読み取ることができます。

また、音楽室に向かう向きが右向きであるならば、教室に向かう向きは左向きであり、みぞれの向きは同時にみぞれの進路の向き、のぞみの向きは同時にのぞみの進路の向きでもあるようです。

こちらはモブキャラが歩く向きが左、みぞれ(だったと思います)が右に歩くシーンなどで補強できると思います。

 

また、リズと青い鳥の童話の中ではリズは右向向き、青い鳥は左向きで話が進行していきます。

例えば、まだ青い鳥が登場する前のシーン、机に座るリズの向きは右向きです。

青い鳥が出てきてからも、リズは右向きに座り、青い鳥は左向きに座っています。

青い鳥を逃すリズも同様に、手を引くリズは右を、引かれる青い鳥は左を向いています。

この時、ドアが左側に、家の中が右側に描かれています。

ここに、左がソト、右がウチの概念を見ることができます。

これはリズの家の二階の窓の向きとも合致します。

また、この構図は後半のみぞれの告白シーンでも再度使用されています。

ただし、このシーンでは扉は全て閉じており、出口は無くなっています。

このシーンは大事なシーンなので後ほど解説します。

 

さて、今回はさらに画面の手前、奥にも意味があるようで

手前から奥(今これを見ている画面に向かって進む向き、以後奥向きと呼称)、

奥から手前(画面から遠ざかる向き、以後手前向きと呼称)

に対してそれぞれソト向き、ウチ向きの意味が込められているようです。

これは、全ての場面に適用されるもの、ではなく非常口のドアや窓に描かれた非常時脱出用のマーク、単純にドアなどを介して示されています。

当たり前の話ですが、手前向きに何かが置かれても、我々は見ることはできません。(モンハンで画面いっぱいにモンスターが映るのをイメージして頂くとわかりやすいかもしれません)

ですので、これらがモチーフやマークによって示されている以上、奥向きがソト、手前向きがウチとなります。

これがのぞみとみぞれのリズ性、青い鳥性を非常に巧みに表しており、私が舌を巻いた部分でもありました。

2人の関係に対して、リズと青い鳥の関係を合わせることができるのは、冒頭、のぞみが学校の中で「私達ってこのリズと青い鳥みたい」と言った話をしていたことから判断出来るものとしますが、その関係は音楽室に入るそのシーンから描かれています。

音楽室に入るシーンにおいて、ドアの先に各パートの座る椅子があり、これは奥向き(ソト向き)の構図になっています。

この時、みぞれは左側に、のぞみは右側に座ります。

したがって、2人が話す時はみぞれは右向きに、のぞみは左向きに顔を向けます。

これは、ソトにおいてリズがみぞれ、青い鳥がのぞみであることを表しています。

他にも例を挙げるとするならばのぞみが茶色い鳥に怯えるシーン、みぞれが窓の外の青い鳥を見るシーンなどが挙げられます。

また、冒頭ののぞみにみぞれが青い羽を渡すシーン(学校の中、ウチ)から、ウチではみぞれが青い鳥なのだから、ソトではのぞみが青い鳥である、との見方もできるはずです。

ただ、学校の中なら無条件にウチかというとそうでもなく、窓一枚隔てた学校の周りはソトとなります。

教室の開いたドアの向こうもソトです。

なんらかの境界線に対してのぞみ、みぞれがいる方をウチ、いない方をソトと見ると概ね正しいと思います。

 

さて、物語の後半ではこの、序盤で挙げられたリズ=みぞれ、青い鳥=のぞみの構図が逆転することは彼女たちのセリフから読み取れることでしょう。

この時、舞台は音楽室の中(ウチ向き、手前向き、指揮台の側からバンドメンバーを見たときの景色)に映像が切り替わります。

こうなると今までの二人の位置関係が逆転し、みぞれが向かって右側(左向き)、のぞみが向かって左側(右側)に変わります。

つまり、ここにウチにおけるリズ=のぞみ、青い鳥=みぞれの構図が生み出されます。 二人の関係が逆転します。

最初に音楽室が出てきた瞬間から、二人の関係の逆転は予告されていた、というわけです。

ここに置いて、二人はリズ性、青い鳥性をどちらも互いに満たす要素に変わります。

 

(ここより先は私個人の想像を含みます。また、説明のしにくいものに関して、文章の引用なしで話を進めている部分が何箇所かあります。)

 

さて、ここでフルートパートの会話(朝食編)で出てきた「味噌汁ぶっかけご飯」「ダメ!無理!」「美味しいですよ」「認めない!」を引用します。

そしてもう1つ、先のインタビュー記事にもありました

 

>>山田 みぞれと希美の精神性って、なかなか作品として描く機会のないものだと思うんですね。お互い自分の生き方にまっすぐで、人の話を聞いているようで聞いていないような……そんな曖昧な印象があって。

 

>>山田 それは自分にとっての「おまじない」のようなもので、あんまり表に出すものでもないんですけど……いくつかあるうち表立っているものでは、素数を意識しました。みぞれと希美の2人って、同じ最大公約数を持たない関係性だなと思って。

 

>>山田 私の頭の中で、みぞれと希美の交わらなさがグラフのように見えていたんです。 だから、数学用語で2つの集合が交わりを持たないことを意味する「disjoint」の文字をAパート前に挟んだり、そういった要素を作品のあちこちに散りばめています。

 

つまり、二人は最初からdisjointな存在として描かれてきたわけです(ここまで参考資料を飛ばして見てきた方は是非一度戻って全て目を通して頂きたいです)

とはいえ、二人の関係はどこか曖昧としたもので、その関係はみぞれの本気のオーボエを聴いたことでさらに曖昧さを増していきます。

どちらにとっても相手はリズであり、青い鳥であるわけです。

つまり、ご飯なのか味噌汁なのか、リズなのか青い鳥なのか、好きなのか嫌いなのか、のぞみは、みぞれはどうしたいのか、ハッキリしろよ。と言うわけです。

ここで最後のjointが出てきてもおかしくない(同じ要素を含む集合となった) 状態となったわけですが、ここではjointは出てきません。

 

何故か。

 

リズと青い鳥は悲劇です。

青い鳥は愛故に愚直にリズの思いを貫きます。

リズは青い鳥にいつでも戻ってきても良い、そんな思いを胸に抱いて、伝えられずにいます。

(注釈)

勿論、これもまた一つのハッピーエンドではあります。

二人一緒にいることはできなくても、互いが互いを思いやり、結論を出す。それは互いにとって最も良いものであったでしょう。

あの小屋の、鳥籠の中で停滞するより自由な空へ。

悲しくもあり美しい物語であります。

そして多分これは正しい選択なのでしょう。

しかし、ずっと一緒に、一緒にいられたらと願う気持ちもまた美しいものだと思います。一緒に居られないこと、それ自体が悲劇である、と私は思うのです。

この先私は、リズと青い鳥は、愛しきものとの別離の物語である、と言う点において悲劇である、という前提のもと話を進めていきます。

この前提は、最後の最後に否定されるものではありますが、どうしてもその結論に至るまでに必要なものなので、ご理解頂けると嬉しいです。

ご不快に思う方がいらっしゃる事も重々承知しております。が、どうか最後までお付き合いのほど、宜しくお願い致します。

 

これは、のぞみのいう事なら…というみぞれ、「青い鳥はいつでも戻って来れば良い」という話をした後にのぞみが考えを改めたこと。

みぞれがリズではなく青い鳥として感情を吐露するシーンから読み解くことができます。

 

繰り返しになりますが、リズと青い鳥は悲劇です。

もし、のぞみとみぞれの関係が、そこになぞらえられるものになってしまったら、それは悲劇の再話となることでしょう。

 

告白シーンの話に移りましょう。

二人の感情の吐露、関係の清算、二人の好きの違い、あたりがセリフから読み取れる内容かと思いますが、ここでは場面の話をしていきます。 f:id:nyagato18:20180503210816j:plain

画像元(https://natalie.mu/comic/gallery/news/276562/883732)

何度も言いますがこの構図はリズと青い鳥の再話であります。

学校の中(ウチ)においてのぞみが右、みぞれが左を向いています。

ただし、今回は扉は開いてはおりません。

より正確にいうのであれば、のぞみは初めて、みぞれの好きと向き合う覚悟を決めるのです。

抱き合う二人の後ろの扉は非常扉です。

その気になれば出ていける脱出口、しかしその扉が開かれることはありません。

また、ここで初めて二人は大好きのハグをすることになります。(jointします)

つまり、このシーンがリズと青い鳥における最後、「これが私の愛の形!」の再話となるわけです。

大好きのハグを受け入れる、一度は拒否したそれを、ルールに則り好きを伝える儀式を受け入れるわけです。

ここで、二人の抱き合う右側の棚を見てください。

二羽の鳥の白骨標本が展示されています。

二人はどちらも青い鳥性を持つ、という話を前述しました。

さて、ここに来てこの二羽は白骨標本(死)になっています。

これはリズと青い鳥、の役割からの解放を意味していると考えます。

すなわち、そこにいるのはリズでも青い鳥でもない、ただののぞみとみぞれです。

(ところで、大好きのハグ中の会話について補足します。 みぞれの好き、は愛的な好きでありますがのぞみのフルートが好き、はもっと複雑な思いであることが監督インタビューで触れられています)

( >>山田 原作者である武田さんの前で言って違ったら怖いんですけど…… 映画のラストで希美がみぞれに伝えた感情は、本当は彼女が一番言いたくなかったことなのかなと、今でも思っています。

>>山田 自分自身の置かれた状況やのぞみとの関係性など、いろいろなものを認めてしまわないとあの言葉は言えないんだけど、でも言わざるをえない。その決断を導き出せるかが、この映画の難しいところでした。 )

 

さて、告白の後、二人は互いに別の進路を向き始めます。

何度か出てきた構図(図書室、貸出期限一ヶ月過ぎ、リズと青い鳥、くどい図書館員)に、のぞみの進路選択の描写(問題集を借りる、一週間)が入ります。

この後二人が互いに逆の方向に向かって行くシーンは印象的ですね。

そして、二人は一緒に学校を出ます (話の冒頭も二人で一緒に学校に行く、モブの子が通った後にのぞみを待ってから教室に向かうあたりから同じ構図である気がします) のぞみはみぞれのオーボエに対して向き合います。

そして二人一緒に「コンクール頑張ろうね」といったニュアンスのセリフを言うわけです。(よく覚えていません)

ここにようやく、気持ちの一致、方向の一致が見て取れます。

この時二人は一緒に左を向いて進んでいきます。

インタビューからの引用です。

>>山田 映画の最初から最後まで、あの2人が噛み合ったのってほんの一瞬だと思うんですよ。

——一瞬は噛み合ってますよね……?

山田 そう思います。その一瞬を記録するための映画だと思っています。

 

ここにおいて、disjointは解消されjointへと変化します。

そして物語はエンディングを迎えます。

 

ハッピーアイスクリームについて

ここから先は、私の想像の域を出ない話をすることになります。

また、 氷菓シリーズ第1巻氷菓の核心的なネタバレと、第2巻愚者のエンドロールのトリックに関する致命的なネタバレおよびストーリーに関する核心的なネタバレと、第3巻クドリャフカの順番のストーリーに関するざっくりとしたネタバレを含みます。

あと筆が乗ってきたのと朝4時から四時間ぶっ続けで書いていたので妙にテンションが高いです。生暖かく見守って頂けると嬉しいです。

 

 

私は氷菓という作品が例えトリックが暴かれようが、話のオチが見えていようが鑑賞に耐えうる作品であると確信していますが、それはそれとしてミステリーにおける初読のワクワク感を殺すことは忍びなく、出来ることなら氷菓という作品を読んでから続きを見て頂きたいと思っています。

 

というわけで氷菓シリーズ全巻の角川内にある販売ページを載せておきます。

全部面白いので全部読んで頂きたいです。

最新刊、「いまさら翼といわれても」のみハードカバー本で、書店で探す時苦労するかと思いますが是非探して見てください。

 

1. 氷菓 米澤 穂信:文庫 | KADOKAWA https://www.kadokawa.co.jp/product/200108000110/

2. 愚者のエンドロール 米澤 穂信:文庫 | KADOKAWA https://www.kadokawa.co.jp/product/200203000544/

3. クドリャフカの順番 米澤 穂信:文庫 | KADOKAWA https://www.kadokawa.co.jp/product/200803000546/

4. 遠まわりする雛 米澤 穂信:文庫 | KADOKAWA https://www.kadokawa.co.jp/product/201004000101/

5. ふたりの距離の概算 米澤 穂信:文庫 | KADOKAWA https://www.kadokawa.co.jp/product/201112000082/

6. いまさら翼といわれても 米澤 穂信:文芸書 | KADOKAWA https://www.kadokawa.co.jp/product/321605000347/

 

物語の一番最後、二人の気持ちの一致の後、「ハッピーアイスクリーム!」とみぞれが叫び、「え?アイス?別に良いけどなんで…?」といったくだりがありました。

気持ちの一致の後に再び分岐する2つの関数、のようなイメージが想起されます。

先程、私は二人の関係におけるリズと青い鳥の関係は無くなったと書きましたが、それは正確ではありません。

あの”瞬間”においてその関係は失われましたが、学校(鳥籠)はまだまだ続きます。

依然として二人の関係の間にはリズと青い鳥の存在が残り続けているのです。(だって、本番はまだまだ先ですから)

 

そのことを踏まえて、「ハッピーアイスクリーム!」を読み解いていきます。

ハッピーアイスクリームとは物語内で示された謎のゲームです。

「アイスクリーム食べたいなあ」と同時に言った時、先に「ハッピーアイスクリーム!」と叫んだ方が声を出さなかった方からアイスクリームを貰える、と言ったルールです。

みぞれの「ハッピーアイスクリーム!」は、セリフの一致、気持ちの一致を示すシーンでありますが、我々の感想としては精々みぞれも結構茶目っ気あるんだなあ、くらいなものではないでしょうか。(実際そういう子らしいと言うことは後で調べて知りました。

 

まず結論から言いましょう。

先に出て来たハッピーアイスクリーム

”Happy ice cream!!”であり

みぞれの言うハッピーアイスクリーム

“Happy I scream!!”の事でしょう。

 

これは、完全に自社の作品である氷菓のオマージュです。

氷菓のテーマの1つに、才能、と言うものがあります。

漫画家の才能、探偵としての才能、脚本家としての才能。

持つ者持たざる者、その関係についてこの作品はかなり重きを置いています。

みぞれとのぞみの関係は、折木奉太郎福部里志の関係にもなぞらえられるでしょう。

「絶望的な差からは期待が生まれる」(クドリャフカの順番 P381 13行目)です。

ちなみにこのクドリャフカの順番の中の1話である14話 ワイルド•ファイアの絵コンテ、演出を山田尚子監督が担当されているそうです。

 

次に愚者のエンドロール

これも第9話 古丘廃村殺人事件において山田尚子監督が、絵コンテ及び演出を担当されたそうです。

さて、愚者のエンドロールは映画を作る話です。

そして、脚本の才能の話でもあります。

ただ、今思要なのは、この物語が 視点をずらす 物語である事です。

 

「実に里志らしいジョークだ。基準点をずらすわけだ。」 (愚者のエンドロール P232 1行目)

それと軽く読み返している時に気づいたのですが、こんな一節もありました。

「「俺の解釈は、こうです。本郷は、ハッピーエンドを好み、悲劇を嫌ったんじゃないですか。人が死ぬ話は、それだけで嫌いだったんじゃ」」(愚者のエンドロール P238 12,13行目)

 

ここで、監督のインタビュー記事から引用します。

>>その上で、物語を描く視点は大切にしました。原作もTVシリーズも、語り手は主人公である黄前久美子TVシリーズでは、久美子の目線からカメラを向けていましたが、『リズと青い鳥』ではカメラを別の位置に、真正面ではない場所にずらしたというイメージです。

 

愚者のエンドロールは映画を作る話ですから、当然のようにカメラの話も関わってきます(これに関する説明は長くなりそうなので省きます。

愚者のエンドロールの話はこの後にももう一度する予定ですが、今回はここで終わりとします。

 

結局のところ、私が言いたいことというのは、本作リズと青い鳥氷菓シリーズのテーマに近いものを内包しているのではないか、ということなのです。

つまり、リズと青い鳥氷菓には密接な繋がりがある、そう考えていると言うわけです。

 

ここから先が少し苦しいのですが、今まで私は氷菓の二作目、三作目の話をしてきました。

ここで、山田尚子監督、吉田玲子さんとの繋がりの全くない第1巻氷菓の話に移ります。

 

関谷純のお話です。

関谷純は氷菓ヒロイン千反田えるの伯父にあたる人物です。

氷菓のネタバレになりますが、

簡単に言うと文化祭の日程を五日から三日に、平日開催を週末開催に変える、という校長の決定に反発した学生達は、反対運動を行います。

その運動のリーダーを押し付けられたのが関谷純です。

そんな中、事件が起きます。

反対運動の最中、学校の格技場でボヤ騒ぎが起きました。

火自体は大したことはありませんでしたが、格技場は消防車の水圧で半壊、学校側は見せしめとして関谷純の退学処分を決定します。

退学処分を予感した関谷純は、古典部の文集の名を氷菓と命名し、穏やかに退学していきました。

 

氷菓とは、ちょっとした言葉遊びです。

アイスクリーム、I scream.

この物語は千反田えるの言葉を持って締めくくられます。

「「思い出しました。わたしは伯父に、『ひょうか』とはなんのことかと訊いたんです。そしたら伯父はわたしに、そうです、強くなれと言ったんです。もしわたしが弱かったら、悲鳴もあげられなくなる日がくるって。そうなったらわたしは生きたまま…」」(氷菓 P205 13-16行目)

「「折木さん、思い出しました。わたしは、いきたまま死ぬのが怖くて泣いたんです。」」(氷菓 P206 1行目)

 

この先は、ぜひ、氷菓を購入してご覧ください。

さて、ここまで話をすればもうお分かりかと思います。

氷菓とは、叫び声すら上げられず、生きたまま死んでいく人間の声ならぬ叫びの物語であります。

氷菓は、関谷純の悲鳴そのものである、と言って良いはずです。

 

私は、関谷純こそ、ありえたかも知れないみぞれのifである、と考えています。

 

彼女が決心しなければ、声を上げなければ、わかり合おうとしなければ、のぞみは再びみぞれに相談することもなく、勝手に進路を変えていたことでしょう。

そしてみぞれは再び彼女、自分の全てを失い、生きたまま死んでいく… そんな未来が待ち受けていたかも知れません。

 

そうであるならば、あの瞬間、初めて心の通じ合った、交わったあの瞬間は彼女にとってとてつもなく大きな喜びだったのではないでしょうか。

 

それこそ、Happy I scream!!と叫んでしまうほどに。

 

さて、話は再びハッピーアイスクリームの話に戻ります。

 

ハッピーアイスクリームのルールについてです。

ハッピーアイスクリームとは先に言った方に言いそびれた方が、アイスクリームを送る、というものでありました。

言うまでもないことですが、Happy ice creamであれば送るものはアイスクリームしかありません。

ところがHappy I scream!!になると意味が変わってきます。

送るものはHappy、幸せということになります。

つまりわたしに幸せを下さい(のぞみとずっとに一緒にいたい、わたしを幸せにしてほしい)という告白である、と見ることもできるはずです。

端的に言うと好き!結婚して!といった感じでしょうか。

大胆な告白となるわけです。

勿論、のぞみはハッピーアイスクリームゲームを知らないわけですから、これが届くことはないわけですが。

 

ハッピーアイスクリームにはもう一つ意味が込められている、とわたしは考えます。

繰り返しになりますが、みぞれとのぞみにはどちらも青い鳥性を内包しています。

そして、それが一時的に失われた状態であることももう一度確認しておきます。

話は変わりますが、青い鳥、と言われて一番最初に想像するものはなんでしょうか?

Googleの検索結果を見るとこちらのページが出てきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5 (2018年5月3日7:17現在)

そうです。モーリス•メーテルリンクの童話、青い鳥です。

青い鳥、と言うよりかは幸せの青い鳥、の方が通りが良いかも知れません(この文を書くために調べるまで私も青い鳥ではなく、幸せの青い鳥だとタイトルを勘違いしておりました)

Wikiからの引用です。

>>2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語。

 

くどいようですが、リズと青い鳥は悲劇です。

そうであるならば、この物語は青い鳥、とは逆の物語となっているはずです。

つまり、鳥籠の中には幸せはない、となるわけです。

実際、のぞみとみぞれは学校(鳥籠)のソトで初めて気持ちを重ねそして歓喜の叫び声をあげます。

つまり、二人にとってリズと青い鳥は、リズであること、青い鳥であることは呪いである、と見ることができるはずです。

つまり、ハッピーアイスクリームとは青い鳥という忌語を隠すためのおまじないである、と言うわけです。

この文脈での意味はこうなります。

「ずっとずっとそばにいて、私の青い鳥」

ここで、もう一度確認しますが青い鳥とは幸せの青い鳥であります。

しかし、その一方でこの物語における青い鳥は別離の象徴です。

つまり、こうです。

“私達はリズ達とは違う、違うと思いたいという願い(物語はハッピーエンドが良い)”

であり

”物語上逃れられないその単語をラストに持っていくための手段”

それがハッピーアイスクリームであります。

 

リズと青い鳥は別れの象徴、呪いの名であります。

ですが、この作品のタイトルはリズと青い鳥で、みぞれとのぞみがリズと青い鳥ならば、この運命は逃れられないものである、となることでしょう。

 

だからこそこの言葉は祈り、願いなのです。

監督のインタビュー記事から引用します。

 

>>山田 そう言っていただけるとうれしいです。私自身は2人に「添い遂げてほしい」派なんですよ。 だけど原作を読んでいると、つくり手としての自分が2人の関係性をいじってしまうことが一番不幸なことだと思ったんです。

 

みぞれが幸せの未来を願ったように、監督もまた、二人が添い遂げる未来を願ったのではないでしょうか。

 

つまりこの物語は箱庭からの脱却、停滞からの脱出、それを夢見る物語であった… これが私のリズと青い鳥という物語に対する見解となります。

 

リズと青い鳥

 

しかし、これは物語の話です。

物語には結末が必要、おしまい、の一言が必要になってくるはずです。

 

…ここで、少し変だと思うところはありませんでしょうか?

まずは、物語る亀さんのブログより抜粋させて頂いた一文を見て頂きます。

>>“舞台挨拶で山田監督も『望美は強い女だから道を変えるかもしれない』と語っている。”

(『リズと青い鳥』ネタバレ感想&考察、解説 本作に込められた『愛』の演出を紐解いていく - 物語る亀 http://blog.monogatarukame.net/entry/LISU_bluebard_2 映画 けいおん! のアンサー作品として 6段落1,2行目から抜粋)

 

更にもう一度、監督インタビューを引用します

>>山田 そう言っていただけるとうれしいです。私自身は2人に「添い遂げてほしい」派なんですよ。 だけど原作を読んでいると、つくり手としての自分が2人の関係性をいじってしまうことが一番不幸なことだと思ったんです。

 

お分りいただけたでしょうか。

”「添い遂げてほしい」派なんですよ”と、 ”望美は強い女だから道を変えるかもしれない”というのは、不思議な言い回しだと思いませんか?

 

つまり、私の言いたいことはこうです。

そう思うなら物語を結末を変えれば良いのではないでしょうか?

監督には、この作品を作る人間にはその力があります。

多少は炎上するかも知れませんが、散々物語はハッピーエンドが良いと書いてきたわけですから、私達だってそれを受け入れる覚悟ができているはずです。

今更何を恐れる必要があるというのでしょうか?

 

勿論、その答えはすでに述べられた通りです。

”だけど原作を読んでいると、つくり手としての自分が2人の関係性をいじってしまうことが一番不幸なことだと思ったんです。”

 

先にも述べた通り、これは祈りの物語です。

私たちの誰一人として、この物語のずっと先、未来の話を知りえません。

もっと言うと我々は、誰一人として、勿論監督ですら、この物語を理解しているとはいえない訳です。

だって、誰も彼女たちの心の中で見ることはできないのですから。

描かれなかったものは見ることは出来ません。

決定されていない事柄は自由です。

どんな突拍子のない結論ですら、この物語は飲み込んでしまうことでしょう(ちなみに私は二人が仮面ライダーM(ターンダブル)になる妄想をしました、名前がのぞみぞれで対になってていい感じだと思うんです)

 

ここで、またインタビュー記事を引用します。

>>山田 これまでは、一言でそのキャラクターのことがわかるようなセリフを用意することが多かったと思います。キャラを立たせるために、抑揚を強めにしているので。 対して『リズと青い鳥』は、ひとつのセリフを90分かけて言ってもらうような密度だと思うんです。90分かけて、やっと2人の女の子のことがわかるというような引き伸ばし方をしているので、一言で言い切らない、抑揚を控えめにした演技は大変だったかもしれません。

 

リズと青い鳥が眠くなる、つまらない作品と思われる理由はここに集約されると思います。

緻密に作られたダイナミックコードみたいな話の構造をしている訳ですから、そりゃあ眠くなるだろうなあ…という感じです。

 

結論に行きましょう。 この物語は決意する話です。

結論を出す話ではありません。

もっと言うのであれば、この物語には初めから結論など提示されてはおりません。

私たちは90分に渡って長い長いあらすじとキャラ紹介を見ていただけだと言うことになります。

 

しかし、それほど長く見てきたと言うことは、この物語が多くの含み(考察出来る、想像できる要素)があると言う事です。

つまり、この物語はたくさんの結末を許容する物語である。

 

私はそう確信しました。

 

舞台挨拶から引用します。

>>最後に山田は「一見静かな映画と思うかもしれませんが、少女の機微が本当にお喋りな作品」と作品を振り返りつつ、「映画館でしか聴こえないような(音もある)音響設定をしていて、かなりマニアックな状態になっている。よかったら映画館でたくさん観てほしい」とメッセージを届けた。

 

つまり、この作品は何度も鑑賞されることを前提に作られた物語であり、それは見る時のあなたの気持ち、思い、感情で色を変える、そんな作品であると言い切ることができるはずです。

上記にある通り、映画館で見るリズと青い鳥と、家でDVDで見るリズと青い鳥は異なるものになることでしょう。

それほど、この物語は見られること、を考えられた作品であると言える訳です。

 

さて、ここで再び愚者のエンドロールの話に戻ります。

私は、私達がこの映画に対して、何かを言うこと、思うこと(二次創作は勿論考察に至るまで)全てがリズと青い鳥という物語を組み上げること、シナリオを作ることと同義である、と言う風に書きました。

 

これは、愚者のエンドロールという物語のシナリオそのものです。

 

もう一度監督のインタビューを引用します。

>>その上で、物語を描く視点は大切にしました。原作もTVシリーズも、語り手は主人公である黄前久美子TVシリーズでは、久美子の目線からカメラを向けていましたが、『リズと青い鳥』ではカメラを別の位置に、真正面ではない場所にずらしたというイメージです。

 

次に、愚者のエンドロールからも引用をします。

「「本郷はそのままでは悪者です。脚本を放り投げたとして、厳しく糾弾されたでしょう。だからあなたは、本郷を『病気』にした。脚本を『未完成』にした。そのほうが傷が浅いと見たんだ。あなたはあなたのクラスメートを集め、推理大会を開いた」そして。「そして、そうと見せかけ実際はシナリオコンテストを行った。脚本を書けと言われれば誰しも尻込みする。だから、本郷を大義名分に立てて、あなたは推理させたんだ。クラスメートの成績が芳しくないと見るや、俺たちも巻き込んだ。誰も、俺も、自分が創作しているとは気づかなかった。あなたによって恣意的に、基準点がずらされていたからだ。俺の創作物は本郷のそれに入れ替わり、本郷は傷つかずに済むと言う寸法です。違いますか?」」 (愚者のエンドロール P242 6-15行目)

 

長く引用させて頂きました。

実は、この話には続きがあり、この策士の考えは別のところにあることが明らかになります。

誤解を恐れずに言わせて頂きますと、私は、それこそが監督の真意なのではないかと思っています。

これから先は愚者のエンドロールを読んで察してください。

私の口からは畏れ多くてとてもではないが言えません。

 

 

さて、こんな、拍子抜けする結論を導くために長々と本当に長々と書いて参りました。

お付き合いありがとうございました。

リズと青い鳥を見ずにここまで読んでくださった方には、是非、これから映画館でこの作品を見て頂きたいと思います。

 

これは、あなたの物語です。

 

ですから、様々な考察ブログを見てあなたの感じた何かが揺らいでしまった。

その考えに根拠を見出すことができなくなった方には、愚者のエンドロールのあるお方の言葉を借りて、このように訴えさせていただきます。

 

「別にいいでしょう、根拠くらい」

 

もう一度言います。

これはあなたの物語です。

この物語の結末は、誰もが自由に描くことができるものです。

私は勿論、のぞみもみぞれもハッピーエンドが良い…と言うとは思いますが、そのハッピーエンドの定義は人によって異なるものです。

この物語においては、全ての結論は正しく間違ったものとなることでしょう。

ならば、恐れる必要はありません。

貴方はどんな結末を、どんな意味をこの物語に見出すのでしょうか。

 

是非、その感想を、考察を、思いを、文字に、形にしてください。

 

それが生み出されること、誰かの描くハッピーエンドが形になること、それが、それこそが、リズと青い鳥という物語になっていくのです。

 

最後の方は殆ど氷菓の話となってしまいました。

ならば最後はかっこよく、この物語を読み解く探偵気分の推理作家紛いとして、こう締めくくらせて頂きます。

 

クドリャフカの順番の言葉を借りましょう。

リズと青い鳥』は、『愚者のエンドロール』によって予告されていた、なんて笑

 

終わりに

 

稚拙で長い文章にここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました。

当記事は最初、私のツイートをtogetterでまとめる形で製作されていました。

が、エラーで全てのデータが消えてしまい、急遽このようなブログ形式での投稿という形に変更させて頂きました。

記事自体は二日で製作できましたが、映画を見終わってから3日が経過したこと、記憶が新鮮なうちに書いたデータが消えてしまったことなど、作品を考察するにあたって不安を感じることがいくつもありました。

また、内容が進むにつれて、私は誰に対して、どのような人に対してこの記事を書いていたのか、が分からなくなってきました。

それでも、なんとかここまでたどり着けたことはうれしく思いますし、自分の考察に対してそれなりに自信を持ってもいます。

何より、私の出した結論が、ありとあらゆるこの物語に対する考察を許容するものとなったことは非常に嬉しく、この考察なら100通りの読み方が出来る、という自負もあります。

文章ははじめに、と終わりに、がまるまる差し替えられていたり、こちらには雑味が多過ぎるとしてカットした考察もいくつかあり、いくらか反応をいただけたならそれも形にできたらいいなあと思っています。

最後になりますが、当記事がリズと青い鳥、もっと言うと山田尚子作品、欲を言えばたまこラブストーリーたまこまーけっとに興味を持ったり、より好きになるきっかけになってくれたのであれば、それに勝る幸せはありません。

そしてもう一つ、厚かましいお願いではありますが、コメント等の反応を頂けると、この記事が読者の方にとってどういう風に見て頂けたのか、そもそも読んでくれた方がいるのかと言った不安が和らぎますので、何か反応をいただけると嬉しいです。

本当にありがとうございました。

修正箇所

告白のシーンの記事から、これはリズと青い鳥、の役割からの解放を意味していると考えます。すなわち、そこにいるのはリズでも青い鳥でもない、ただののぞみとみぞれです。(ところで、大好きのハグは友達通しでするものです。 みぞれの好き、は愛的な好きでありますがのぞみのフルートが好き、はもっと複雑な思いであることは監督インタビューからも読み取れると思います。)から( )内の文章の一部変更 2018/5/4 20:04

理由 デカルコマニーというテーマ性を意識するとこれが単純に友達同士のハグとは思えず、様々な見方ができると思われ当記事の内容として相応しくないと判断したため。